N-Wave VOL.116
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141956年 愛媛県新居浜市に生まれる。1971年 愛媛県立新居浜東高等学校入学。妙心寺派清浄寺住職安永頴宗に就いて得度。1974年 花園大学入学。1978年 同卒業後、天龍寺専門道場に入門、撥雲軒平田精耕老師の下で修禅。1993年 天龍寺国際禅堂師家職及び天龍寺派松雲寺住職拝命。2001年 花園大学文学部仏教学科教授就任。2018年4月1日 方広寺派管長に就任。[主な著書] 『現代語訳碧巌録』(四季社・2001年) 『禅ぜんZEN』(禅文化研究所・2004年) 『笑う禅僧』(講談社現代新書・2010年) 『坦翁禅話』(禅文化研究所・2019年)他多数。安永祖堂・Yasunaga Sodouおかげ、お天道様のおかげ。逆に、私がいたから、私のおかげでと出しゃばっていると、誰も付いて来なくなる。 「反比例の法則」というのをご存知だろうか。たとえば、人は長生きすればするほど命が惜しくなる。あるいは、学歴が高くなればなるほど人間の品位が下がる。さらには、金持ちになるほどケチになる。いかがであろうか、こちらの教えもお互いに気をつけたいものである。 第三に言っておくべきは、「規矩を行い尽くすものではない、規矩を行い尽くしたら人がうるさがってしまう」というものだ。規矩とは規律、規則。もともと規は定規で、矩はコンパス。そこから転じて禅宗寺院で守るべきルールを規矩と呼ぶようになった。 これはやはり会社でも学校でも、規則ではこうなっているとか、がんじがらめにルールを押しつけてばかりいると人はうるさがって逃げていくだろう。ちなみに昭和の初め頃、京都天龍寺管長であった関精拙和尚はいつも言われていたそうである。「重箱の隅は楊よう枝じでつつくな、重箱はすりこぎでかき回せ」。 人間というものは細かいことばかりうるさく言われていると離れていくものだ。特に管理職の立場にいるような人はどこか茫洋として抜けているところがないと、或いはそのようなふりをしないと、かえって部下は育たないだろう。本人があれこれと事細かく指示しないで、部下を信用してすべて任せる。それが結果として、人を信じて活かすということにもつながるのであろう。 最後になるのが、「好語は説き尽くすものではない、好語を説き尽くせば人はこれを侮ってしまう」という第四の戒めである。 好語ということばには広い意味がある。一つには、人というものはあまりに誉めすぎるとかえって軽く見てしまって、侮ってしまう。二つには、自分の考えを相手に全てしゃべってしまうものではないという解釈もある。三つには仕事の段取りをすべて教えてしまうのではなくて、相手に自分で考えさせるように言葉を控えるものであるという説明もなされる。 そして最後に、どんなに美辞麗句で理路整然と説いても、究極のところは言葉では説き尽くせないということ。特に禅の世界などは奥義に至ってはどんなに言葉で語っても伝えられないので、本人に身を以て自覚して頂くほかはないという結論に至る。 ところで、山梨県甲府市では毎年四月初旬に「信玄公祭り」が開催される。期間中は十五万人前後の人が訪れるという盛大な祭りだが、市内にある円光院という武田信玄公正室三条夫人の菩提寺では祭りの期間に合わせて仏教講演会を開いておられる。 先年にその講師として呼んで頂いた折に、ご住職が三条夫人の墓塔などのある広い境内を案内して下さった。立派な鐘楼があって大きな釣り鐘が掛けられていて、その梵鐘にこの「住院四戒」が彫り込まれてあった。ご住職がにっこりと笑いながら、朝夕に鐘を撞く際に必ずこれを唱えるんですよと言っておられたものだ。 かつて後藤新平は「財を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上なり」と説いた。五祖法演禅師が弟子に託した教えはまさに人を残したいという思いの表われであり、時空を超えて今に伝わっている。その思いは企業人のみなさんにも同じく共鳴して頂けるものではないだろうか。

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