N-Wave VOL.116
11/28

10宗教思想家。1931年生まれ。東北大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。国立歴史民俗博物館教授、京都造形芸術大学大学院長、国際日本文化研究センター所長などを歴任。専攻は宗教学・思想史。著書に「日本のこころ、日本人のこころ」(日本放送出版協会) 「『歌』の精神史」(中央公論新社)「無常の風に吹かれて」(小学館)「親鸞をよむ」(岩波新書)「信ずる宗教、感ずる宗教」(中央公論新社) 他多数山折 哲雄・Tetsuo Yamaori6%)と比べて圧倒的に多かったこと。 第二、海に囲まれた島国で、外からは攻撃しにくい。 第三、刀剣が武士たちのプライドを象徴する武器として絶大の信頼をえていたこと。 要するに、殺傷武器としての「銃」にたいする嫌悪の情、深層意識における抵抗感が、その使用を抑圧する方向にはたらいた、ということになるのだろう。 武士の倫理感覚、である。伝統的なサムライたちの刀剣信仰だった。 これらの問題については、このさきも考えていこうと思っているが、ここではペリン氏の執筆意図についてもふれておきたい。 日本が戦争に敗れ、占領軍の統治下にあったとき朝鮮戦争がおこった。徴兵ではじめて来日した氏は、汽車で横浜から佐世保に運ばれ、船で朝鮮の釜山にわたる。そのとき目のあたりにした日本の美しい風景に心を奪われた。 日本の文化と歴史に関心をもつきっかけになったが、まもなくベトナム戦争がはじまり、その残酷な戦場に狩りだされることになる。 当時日本は新憲法で戦争放棄をうたい、新しい船出をしようとしていたが、国際社会では合衆国の陸・海・空軍に「ただ乗り」していると批難されていた。 そのはざまに立って氏は、このさき世界ははたして核兵器のコントロールに成功するだろうかと疑念にとらわれていたのだという。執筆動機の一つは、これからの世界の「軍縮」についてどう考えたらよいのかという問題意識があったのだといっていいだろう。 そしてそのことと関連して氏は、もう一つ、意表をつくような発言をしていたのだ。それは本書の冒頭に、つぎのような三島由紀夫への献辞を書きつけているからである。  平和主義者ではなかったが  鉄砲嫌いであった  故三島由紀夫に捧ぐ 一見、逆説にみちたこのペリン氏の献辞を、われわれはどのように読んだらよいのだろうか。 思い返せば、昨年の十一月二十五日は、三島由紀夫が50年前「楯の会」の同志とともに市ヶ谷の陸自駐屯地に突入し、割腹自刃をとげた命日だった。 かつての武士の作法にしたがい、同志の介錯によって腹を切る異様な光景が斬り落とされた生首の映像とともに世界中に流れた。 その決死の場面で三島はなぜ拳銃をつかわず日本刀を採用したのか、その深層意識を追っていけば、あの鉄砲を捨てた中世武士たちの強烈な意志にたどりつくだろうと、ペリン氏は考えていたのではないだろうか。

元のページ  ../index.html#11

このブックを見る